鯖
最近,店のお客様から受けたアドバイスを2つ。
1つめは「あんたは,これからの商売でうまい店とか,
きれいな立派な店≠ニいうことで売るな。人柄で売れ。」ということ。
2つめは「器用貧乏になるな」ということ。
お二人それぞれの視点で客観的に,
私と店を見て下さり,深い想いが伝わってきます。
毎日が勉強で,心して受け止めたいと思います。
その道に通じる人は,短い言葉の中に示唆に富んだ想いを表わしますが,
その中のお一人,棋士,呉清源氏は,
その世界で神様≠ニ呼ばれる存在の方のようです。85歳です。
「私は人の布石や弱点は研究しない。碁も人生も勝負にこだわるのは素人です。」
「定石は素人を教える方便です。全体ではなく部分的な損得だから,
とらわれていると進歩はない。」グサリと心に刺さる文章でした。
「こだわり」は,持たなければならず,時には捨てなければいけないようです。
ここで,今の時期のこだわりをひとつ。
「三陸秋サバずし」
厳選すると良いサバは現在1ぴき3千円という値段で手に入ります。
沖の1本づりは,そういう値段で世の中に流通しています。
たとえばそれを,沖縄の栗國のしおと,山梨の天然酢で仕込むのは,
こだわりになりますが,これは高いものにつきます。
それに良いシャリ(ごはん)をかけあわせたものが,
サバずしですが,いかんせん高くつきます。
しかし,天恵の芸術品だと私は思います。
大量に新寿司では作れませんから,今年は,細々と,
常連さんと,はがきでお知らせしておつくりしています。
大抵の方は,サバ1匹3千円に驚き,すしの値段に驚かれるのは仕方のないことで,
これが売れて売れてしょうがなくなるには,夢のまた夢でしょう。
「秋しか作れない」のですから。
けれども,秋に仕込んで,冷凍すれば良いのですが,
あえてそこまでする気はありません。
1年に1度の秋の恵みを楽しみ,今年が終わりなら,た来年に思いをはせる。
それで良いと思います。
「顕仁蔵智」という言葉があります。
知恵を持つものは決していばらず,人に親切であるという意味です。
サギで調べられている宗教家がテレビ番組に登場しますが,
もってのほかの正反対です。
秋サバ,ブリ,めぬけ,新わかめ,まつも,たら等など
美味しく作って喜んで頂きたいと思います。
2006年07月04日
2006年07月03日
塩
塩
「塩」は,あらゆる調味料の元といっても良いもので, 最も古くからあるものですが, 何からできているのかは,あまり知られていないようです。
答えは「草木のエキス,土のエキスのまさに結晶」ということになります。 あらゆるものが,地球の循環の中で海に集まってきたもののエキスです。
ほんの少し前まで,塩は専売品でしたが, 今は自由化になり,豊富な種類から選べるようになりました。 専売制の国策には,実はドロドロとした問題がからんでいたのですが, ここでは触れません。
問題のひとつは,その塩が80種ほどあるミネラルのほとんど含まれない, 99%純粋な塩化ナトリウムだったことで, 海水エキスの塩とは根本から違うものなのです。
10年,20年と知らされず,そんなものだろう位で,科学塩を摂り続けてきた結果が, いろんなカタチで影響を与え,現象化しています。
新寿司でも数種の塩を使い分けていますが,お客様からこんな話を聞きました。
「心ある実家の祖母が,子供らに事あるごとに送るのは, 決まって,天日干しの天然塩だ」というのです。 おにぎり,すまし汁,など少々のものですが, 毎日必ず何かの形で口に入るものに使われているわけで, 「想い」が伝わってきます。
たかが「塩」を変えることですが,そこには深い想いがなければ, 売場で「良い塩」に手は伸びていかないのです。
値段で選べば,高い塩には行きにくいかもしれませんが,工場の中で, 電気分解で化学的にすぐ作れるものでないことを知って頂きたいのです。
わずか数十キロの塩をとるために,数千トンの海水を, 長いものでは半年,一年かけて塩にして行きます。
ひとりの主婦が塩を変えれば,その一家は, 知らず知らずのうちに口に入れることになるわけです。 ひとつのメーカーが塩を変えれば,その数は万単位におよぶでしょう。
その行動は,ライフスタイルに変革から生き方の変革につながっていくことです。
塩に限らず,厳しい企業間競争の中で, 「値下げ」「コストダウン」を計るとき,調味料の質は, どうなっていくかを考えてみるべきでしょう。
「質で起り,量化で滅ぶ」と言う言葉があります。
問われなければ,塩のことなど, ことさらに説明しない良店はたくさんあることでしょう。
それは,逆の店があることも示しています。
「塩」は,あらゆる調味料の元といっても良いもので, 最も古くからあるものですが, 何からできているのかは,あまり知られていないようです。
答えは「草木のエキス,土のエキスのまさに結晶」ということになります。 あらゆるものが,地球の循環の中で海に集まってきたもののエキスです。
ほんの少し前まで,塩は専売品でしたが, 今は自由化になり,豊富な種類から選べるようになりました。 専売制の国策には,実はドロドロとした問題がからんでいたのですが, ここでは触れません。
問題のひとつは,その塩が80種ほどあるミネラルのほとんど含まれない, 99%純粋な塩化ナトリウムだったことで, 海水エキスの塩とは根本から違うものなのです。
10年,20年と知らされず,そんなものだろう位で,科学塩を摂り続けてきた結果が, いろんなカタチで影響を与え,現象化しています。
新寿司でも数種の塩を使い分けていますが,お客様からこんな話を聞きました。
「心ある実家の祖母が,子供らに事あるごとに送るのは, 決まって,天日干しの天然塩だ」というのです。 おにぎり,すまし汁,など少々のものですが, 毎日必ず何かの形で口に入るものに使われているわけで, 「想い」が伝わってきます。
たかが「塩」を変えることですが,そこには深い想いがなければ, 売場で「良い塩」に手は伸びていかないのです。
値段で選べば,高い塩には行きにくいかもしれませんが,工場の中で, 電気分解で化学的にすぐ作れるものでないことを知って頂きたいのです。
わずか数十キロの塩をとるために,数千トンの海水を, 長いものでは半年,一年かけて塩にして行きます。
ひとりの主婦が塩を変えれば,その一家は, 知らず知らずのうちに口に入れることになるわけです。 ひとつのメーカーが塩を変えれば,その数は万単位におよぶでしょう。
その行動は,ライフスタイルに変革から生き方の変革につながっていくことです。
塩に限らず,厳しい企業間競争の中で, 「値下げ」「コストダウン」を計るとき,調味料の質は, どうなっていくかを考えてみるべきでしょう。
「質で起り,量化で滅ぶ」と言う言葉があります。
問われなければ,塩のことなど, ことさらに説明しない良店はたくさんあることでしょう。
それは,逆の店があることも示しています。
2006年07月01日
コンビニ
コンビニ
「インコンビニエンス,ストア」(専門店)
コンビニの店は,ヨーロッパではあまり見かけない。 あっても何でもそろう,日本式のコンビニはない。 その代わり専門の肉屋やハム屋はある。
主婦は,新鮮で本当においしい物を買うためには, 不便をしのんで遠くまで歩いて専門の店まで行く。
コンビニができて,日本人は本当に豊かなものを失ったのだ。 しかも,この便利さと引き換えに, 生活の中にあった豊かで価値のあるものを失ってきたことも確かだと思う。 コンビニで買った食材で育った子供たちは食べることの文化も知らずに 大人になってしまう。
食欲と栄養だけの食生活,そしてその裏返しとしての低俗な,グルメブーム。 食文化というのは, 長い時間をかけて生活者たちが作り上げた遺産であることを忘れてしまったのだ。 日本でだけ,これほどまでに普及し,専門店というインコンビニエンスストアを 完全に駆逐してしまった罪のほうも忘れてはいけない。 コンビニの普及は,明らかに文化の破壊につながったのだ。
県産の大豆,小麦,そば,雑穀が必要ならば簡単に手に入る県,岩手県。 街角に,朝から一所懸命「とうふ」を作ってくれる店があるのは, 必要とするしないにかかわらず, 町の宝になっていることをわかってほしいのです。 近郊の「無人販売」で,とりたての野菜が「100円」で売っていて, 手に入ることのすばらしさは,こういうことからも言えます。
野菜はとりたての時,「硝酸」を含んでいるのですが, 時間をおくと,「亜硝酸」に変わります。 この「亜硝酸」には,「ニトロソアミン」という物質が含まれており, 「発ガン性物質」です。 だから,露地物野菜が大切なのです。 安ければ,中国から,メキシコから, キャベツやかぼちゃが食卓に出ることは良いとは言えない理由がここにあります。
この時期,皆さんにおすすめしたいおかずをひとつ。 大根おろし≠ノ葛粉を加え,蒸したものに,しょうがと, わさびを添え,しょうゆをたらします。 風邪に効き,おいしいもので,ビールや酒によくあいます。
鮮度のある身近な素材で,組み合わせることにより, おいしい一品が作れることも,私の役割として,伝えていきたいものです。
これも,無名の先人の知恵の恩恵ですが・・・。
「インコンビニエンス,ストア」(専門店)
コンビニの店は,ヨーロッパではあまり見かけない。 あっても何でもそろう,日本式のコンビニはない。 その代わり専門の肉屋やハム屋はある。
主婦は,新鮮で本当においしい物を買うためには, 不便をしのんで遠くまで歩いて専門の店まで行く。
コンビニができて,日本人は本当に豊かなものを失ったのだ。 しかも,この便利さと引き換えに, 生活の中にあった豊かで価値のあるものを失ってきたことも確かだと思う。 コンビニで買った食材で育った子供たちは食べることの文化も知らずに 大人になってしまう。
食欲と栄養だけの食生活,そしてその裏返しとしての低俗な,グルメブーム。 食文化というのは, 長い時間をかけて生活者たちが作り上げた遺産であることを忘れてしまったのだ。 日本でだけ,これほどまでに普及し,専門店というインコンビニエンスストアを 完全に駆逐してしまった罪のほうも忘れてはいけない。 コンビニの普及は,明らかに文化の破壊につながったのだ。
「独酌余滴」多田富雄氏。
県産の大豆,小麦,そば,雑穀が必要ならば簡単に手に入る県,岩手県。 街角に,朝から一所懸命「とうふ」を作ってくれる店があるのは, 必要とするしないにかかわらず, 町の宝になっていることをわかってほしいのです。 近郊の「無人販売」で,とりたての野菜が「100円」で売っていて, 手に入ることのすばらしさは,こういうことからも言えます。
野菜はとりたての時,「硝酸」を含んでいるのですが, 時間をおくと,「亜硝酸」に変わります。 この「亜硝酸」には,「ニトロソアミン」という物質が含まれており, 「発ガン性物質」です。 だから,露地物野菜が大切なのです。 安ければ,中国から,メキシコから, キャベツやかぼちゃが食卓に出ることは良いとは言えない理由がここにあります。
この時期,皆さんにおすすめしたいおかずをひとつ。 大根おろし≠ノ葛粉を加え,蒸したものに,しょうがと, わさびを添え,しょうゆをたらします。 風邪に効き,おいしいもので,ビールや酒によくあいます。
鮮度のある身近な素材で,組み合わせることにより, おいしい一品が作れることも,私の役割として,伝えていきたいものです。
これも,無名の先人の知恵の恩恵ですが・・・。
2006年06月30日
日本食
日本食
「肉食の限界」というポイントに目を向けてみると, ひとつには肉の脂肪の溶ける(分解される)温度に問題が出てきます。 人間の体温は37度前後, 肉の脂肪の融点は44度〜84度という高い温度です。
固体状の脂肪は,基本が水でできている血液には溶けにくく,こまかい粒で循環させるが, 糊のような脂が赤血球どうしをくっつきあわせる。
赤血球は折り曲げたように自分自身を変形しないと小さな血管を通れないという 大きなものなので, それがベタベタくっついて団子状態になったのでは,まったく通れなくなる。 末梢循環が悪化するのはいうまでもない。フライ物,ショートニング, ラードの慢性的食事パターンをしていても,これと同様になります。
経済的に豊かになると,料理は手抜きされたものにならざるを得ない。 女性の社会進出にともない, じっくり手間ひまかけて仕込む料理を多種作るのが不可能になってしまう。
食事の内容は,肉,フライ物が多くなり,穀物が減り,料理の数が減ったものになってきます。 マクカバン委員会や欧州先進国の政府が複合炭水化物の比率を高めるように 勧告したとき,それは具体的に,料理の時間をもっと割くようにと, 言っていたのに等しい。
米国でも肉の消費が少しずつ減っているのは, 「日本食」「ギリシャ食」等の見直しにあります。 それは便利なものに流れ,楽なものに流れ, 安いものに流れるといった欲望や欲求や経済の原理に逆らうこと, 人間が,いうなれば力学に抗して自分の生き方を変えうることを物語っています。 逆に日本はアメリカナイズされ, 肉を多く摂る戦略に乗っているとは言い過ぎでしょうか?
食べるもの飲むもの,何をするのも自由,その通りですが, 安いから,美味しいから,売れているから,考えもせず, それを漫然とやり過ごししまってはいないでしょうか。 圧力団体の力がマスコミに影響を与えているのは確かで, わかる人々は言ってもわからぬ人達にあいそをつかして, 自己防衛に道を選ばざるを得ない状況にあります。
一言で「良いモノ」かどうかは,必ずしも言い切れないことを歴史が証明しています。 「すし」から「食全体」を見渡して考えてみると, どうしても縁のある方々に「これではいけない」, 「本当は今のところこうなんです」と伝えなくてはならないという思いが強くあります。 技術が進歩しても病気は減らず,医療費も右肩上がりなのは,どうしてなのか? 素朴な疑問の答えのひとつに「食」があるのは確かです。
「肉食の限界」というポイントに目を向けてみると, ひとつには肉の脂肪の溶ける(分解される)温度に問題が出てきます。 人間の体温は37度前後, 肉の脂肪の融点は44度〜84度という高い温度です。
固体状の脂肪は,基本が水でできている血液には溶けにくく,こまかい粒で循環させるが, 糊のような脂が赤血球どうしをくっつきあわせる。
赤血球は折り曲げたように自分自身を変形しないと小さな血管を通れないという 大きなものなので, それがベタベタくっついて団子状態になったのでは,まったく通れなくなる。 末梢循環が悪化するのはいうまでもない。フライ物,ショートニング, ラードの慢性的食事パターンをしていても,これと同様になります。
経済的に豊かになると,料理は手抜きされたものにならざるを得ない。 女性の社会進出にともない, じっくり手間ひまかけて仕込む料理を多種作るのが不可能になってしまう。
食事の内容は,肉,フライ物が多くなり,穀物が減り,料理の数が減ったものになってきます。 マクカバン委員会や欧州先進国の政府が複合炭水化物の比率を高めるように 勧告したとき,それは具体的に,料理の時間をもっと割くようにと, 言っていたのに等しい。
米国でも肉の消費が少しずつ減っているのは, 「日本食」「ギリシャ食」等の見直しにあります。 それは便利なものに流れ,楽なものに流れ, 安いものに流れるといった欲望や欲求や経済の原理に逆らうこと, 人間が,いうなれば力学に抗して自分の生き方を変えうることを物語っています。 逆に日本はアメリカナイズされ, 肉を多く摂る戦略に乗っているとは言い過ぎでしょうか?
食べるもの飲むもの,何をするのも自由,その通りですが, 安いから,美味しいから,売れているから,考えもせず, それを漫然とやり過ごししまってはいないでしょうか。 圧力団体の力がマスコミに影響を与えているのは確かで, わかる人々は言ってもわからぬ人達にあいそをつかして, 自己防衛に道を選ばざるを得ない状況にあります。
一言で「良いモノ」かどうかは,必ずしも言い切れないことを歴史が証明しています。 「すし」から「食全体」を見渡して考えてみると, どうしても縁のある方々に「これではいけない」, 「本当は今のところこうなんです」と伝えなくてはならないという思いが強くあります。 技術が進歩しても病気は減らず,医療費も右肩上がりなのは,どうしてなのか? 素朴な疑問の答えのひとつに「食」があるのは確かです。
2006年06月27日
食事
食事
健全な食事は「病気にならない食事」といってもよいでしょうが, いま大多数の食事は大変なスピードで変化していっています。
栄養学から見ますと,それは正常から離れていっている変化です。 大多数の人が同じような食事をしているために, 誰もが自分はかたよっているとは思わず正常と思っているのですが, 事実はかたよった異常な方向につき進んでいて, 食事が原因となってのガンや糖尿病,その他の病気の増加を招いています。
悲劇的なのは異常な食事をしている人が圧倒的多数で, 健全な食事をしている人が極めて少数であることです。 このような社会では健全な人は変人にされかねません。
すべての工程をひとりでやりつくして物を創る人が今どれくらいいるでしょう。 台所仕事でひとつの料理を創るだけでも大変ですから, 加工品が増え,分業化が進み,便利簡単になって行かざる得ない時代です。
「それは誰かに任せて」自分のやりたいこと, 遊ぶことに使える時間が大幅に増えて行きました。
あなご等丸ものを開き,ひらめ等5枚におろし,魚を3枚におろし, 汁物,煮物,漬物,酢物,蒸物がつくられ,電話対応,接客,配達, 経理,すべてが(なんとか)できて店があります。 魚の目利き,米,調味料の見分け/使い, 「すし」をつくり,「うまい」と言って頂くために どれ位の時間をかけているのでしょうか。
大多数の人が同じような感覚を持っているために, 自分はかたよっているとは思わず正常と思ってしまう。 それは,仕方ないことで済まされて良いことではないと思います。 見込んで作る,見込みより売れない。最悪,捨ててしまう。 ○○食品工業株式会社,「工業」の発想で, 機械の部品でなく「食べ物」が毎日創られ, 過剰に売られ,余れば闇に消えて行きます。 醗酵食品は,とても大切なのですが,それにさえ防腐剤などの添加物を加えて, せっかくの効用が台無しになっているものが多いのも事実で, どこに置いても,いつまでも,カビの出てこない 「味噌」「醤油」は本当に怖いものなのです。
何かを加えることによって驚くほどの期間日持ちする商品に支えられ 今の生活があるのでしょうか?。 「食育」に力を注ぎながら, 今日も「すし」を創りたいと思っています。
健全な食事は「病気にならない食事」といってもよいでしょうが, いま大多数の食事は大変なスピードで変化していっています。
栄養学から見ますと,それは正常から離れていっている変化です。 大多数の人が同じような食事をしているために, 誰もが自分はかたよっているとは思わず正常と思っているのですが, 事実はかたよった異常な方向につき進んでいて, 食事が原因となってのガンや糖尿病,その他の病気の増加を招いています。
悲劇的なのは異常な食事をしている人が圧倒的多数で, 健全な食事をしている人が極めて少数であることです。 このような社会では健全な人は変人にされかねません。
丸元 淑生さんのことば
すべての工程をひとりでやりつくして物を創る人が今どれくらいいるでしょう。 台所仕事でひとつの料理を創るだけでも大変ですから, 加工品が増え,分業化が進み,便利簡単になって行かざる得ない時代です。
「それは誰かに任せて」自分のやりたいこと, 遊ぶことに使える時間が大幅に増えて行きました。
あなご等丸ものを開き,ひらめ等5枚におろし,魚を3枚におろし, 汁物,煮物,漬物,酢物,蒸物がつくられ,電話対応,接客,配達, 経理,すべてが(なんとか)できて店があります。 魚の目利き,米,調味料の見分け/使い, 「すし」をつくり,「うまい」と言って頂くために どれ位の時間をかけているのでしょうか。
大多数の人が同じような感覚を持っているために, 自分はかたよっているとは思わず正常と思ってしまう。 それは,仕方ないことで済まされて良いことではないと思います。 見込んで作る,見込みより売れない。最悪,捨ててしまう。 ○○食品工業株式会社,「工業」の発想で, 機械の部品でなく「食べ物」が毎日創られ, 過剰に売られ,余れば闇に消えて行きます。 醗酵食品は,とても大切なのですが,それにさえ防腐剤などの添加物を加えて, せっかくの効用が台無しになっているものが多いのも事実で, どこに置いても,いつまでも,カビの出てこない 「味噌」「醤油」は本当に怖いものなのです。
何かを加えることによって驚くほどの期間日持ちする商品に支えられ 今の生活があるのでしょうか?。 「食育」に力を注ぎながら, 今日も「すし」を創りたいと思っています。
2006年06月24日
スープ
スープ
旅が今のように快適でなかった時代に, 過酷な旅をして宿にたどりついていた旅人に生き返るような思いをさせてくれた 食べ物は何だったでしょうか? 西洋人の旅行記や小説を読むとスープであったことがわかります。
スープが疲れを癒して元気を取り戻させる, 食べ物であることは動かない常識だったようで 英語には「ハーティスープ」ということがばがあります。 現代人はいま豊かな食材に恵まれて快適な生活をしていますが, 大多数の人の食事を栄養的に見ますと,実は過酷な旅をしている旅人の 状態ということができます。
日本で,もっと活用すべきものに魚のアラ,野菜くずもあります。
サバ,サンマをはじめとして頭や中おちはもっと活用すべき食材です。 野菜の皮,芯は捨てずに取っておき魚のアラを仕入れた時に活用すれば, 栄養的にもすぐれたスープストックが作れます。 他,相性の良いモノは,これからどんどん明らかにされていくことでしょう。 粉に,ペースト状の物に,水(湯)をかければ,スープになるものが世の中に 広く行き渡るようになった今の日本で,かつお節をけずり,昆布をひき, 干し椎茸を戻して使う,昔のあたりまえの日本式スープの取り方は, 果たして,古臭く,ダサく,おくれていることでしょうか?
「売れれば良い」そういう時代でないことをひしひしと感じているのは, 少人数ではないはずです。
キッチンばかりが立派に便利になり,それを使いこなせない現実。 プロの営業用のキッチンは,それに比べれば, 昔とあまり変わりのない設備のようです。 そういう所でも,おいしいものが作れるのは,最新の技術というよりは, 食材の力と,昔,誰かが偶然見つけた調理法, 技術によるところが大きいようです。ベルトコンベアーが運ぶ食事, 機械が食べさせてくれる食事は,チャップリンの「モダンタイムス」 そのものです。あの映画を笑って見ていた我々は, 今,笑われる立場にあります。 地球には限りがあることを知った今の時代, 「食」はどうなっていくのでしょうか?
ヨーロッパでは,20世紀の乗り物は自転車という意識に移行していると聞きます。 便利な物の裏には,マイナス要因が潜んでいるのです。 朝起きて,私が一番にするのは「だし」を取ることです。 今日も,来てくださるお客様においしい日本の「ハーティスープ」 (実質的なたっぷりの栄養のある)を出し続けます。
旅が今のように快適でなかった時代に, 過酷な旅をして宿にたどりついていた旅人に生き返るような思いをさせてくれた 食べ物は何だったでしょうか? 西洋人の旅行記や小説を読むとスープであったことがわかります。
スープが疲れを癒して元気を取り戻させる, 食べ物であることは動かない常識だったようで 英語には「ハーティスープ」ということがばがあります。 現代人はいま豊かな食材に恵まれて快適な生活をしていますが, 大多数の人の食事を栄養的に見ますと,実は過酷な旅をしている旅人の 状態ということができます。
丸元淑生
日本で,もっと活用すべきものに魚のアラ,野菜くずもあります。
サバ,サンマをはじめとして頭や中おちはもっと活用すべき食材です。 野菜の皮,芯は捨てずに取っておき魚のアラを仕入れた時に活用すれば, 栄養的にもすぐれたスープストックが作れます。 他,相性の良いモノは,これからどんどん明らかにされていくことでしょう。 粉に,ペースト状の物に,水(湯)をかければ,スープになるものが世の中に 広く行き渡るようになった今の日本で,かつお節をけずり,昆布をひき, 干し椎茸を戻して使う,昔のあたりまえの日本式スープの取り方は, 果たして,古臭く,ダサく,おくれていることでしょうか?
「売れれば良い」そういう時代でないことをひしひしと感じているのは, 少人数ではないはずです。
キッチンばかりが立派に便利になり,それを使いこなせない現実。 プロの営業用のキッチンは,それに比べれば, 昔とあまり変わりのない設備のようです。 そういう所でも,おいしいものが作れるのは,最新の技術というよりは, 食材の力と,昔,誰かが偶然見つけた調理法, 技術によるところが大きいようです。ベルトコンベアーが運ぶ食事, 機械が食べさせてくれる食事は,チャップリンの「モダンタイムス」 そのものです。あの映画を笑って見ていた我々は, 今,笑われる立場にあります。 地球には限りがあることを知った今の時代, 「食」はどうなっていくのでしょうか?
ヨーロッパでは,20世紀の乗り物は自転車という意識に移行していると聞きます。 便利な物の裏には,マイナス要因が潜んでいるのです。 朝起きて,私が一番にするのは「だし」を取ることです。 今日も,来てくださるお客様においしい日本の「ハーティスープ」 (実質的なたっぷりの栄養のある)を出し続けます。
2006年06月22日
加工食品
加工食品
添加物いっぱいの濃い味付けの加工食品に慣らされて, 体に良いものをおいしさで見分ける力がない。食糧自給率はわずか30%。
強大商社の言いなりのまま大量生産に都合がよい単一品種,遺伝子操作食材を素直に消費するニッポン人。 食料を武器に何を押しつけられようが,打つ手は無いお人好し状態。
生きる基本,文化の土台である「食」をこんなに崩してなぜ平気?
なぜ誰も変だと思わないのか? 危険なものばかり食べる国。
先日,アフリカ,セネガルという国に海外青年協力隊で活動し戻ってきた方から話しを聞く機会を得ました。 市民の主食は「あわ」。 貧しい家では,食事が1日1回のみということもめずらしくないという。 そういう国もあるのです。「人の痛みに鈍い」という感覚。 今の「あたりまえ」が,そうさせるのでしょうか。
米が足りなくなった年,タイ国から緊急輸入し「まずい,食えない」 と我々が言っていた頃,タイ米は高騰し,それまで輸入していた他の国々が, とても高くて買えなくなり,末端の人々は飢えに到った事実を, 我々はほとんど知りません。
毎日食べられることのありがたさ。 その食べられる状態を支えている数多くの無名の人たち。 それは,世界の人たちを意味します。改めて「感謝」しなければなりません。 キリスト教では,食べる前に感謝と祈りを時間があります。 我々には食べることへの奢りと傲慢さがあるような気がしますがいかがでしょう。
そう言う意味では,年に1度でも断食の日を実行したり, お粥とうめぼしだけで過ごす日を決めてみることも行き過ぎとは言えないと思っています。
「粗料理作」という言葉があります。 安い食材を,時間と技術を使っておいしいものを作りあげるという意味ですが, すし屋には「あつやきたまご」を作るという仕事があります。 作り方は簡単なようで,これも奥が深いものの一つです。
まず素材,佐藤,ダシとの兼ね合い,卵の黄身の色ぐあい, 焼きあげるタイミングなど,やってもやってもむずかしいなぁと思わせられる仕事のひとつです。
今はこれも市販の甘ったるいものが,多く出回っているようです。
毎日自分で「あつやきたまご」を焼いている人が,盛岡に何人くらいいるのかと,ふと考えることがあります。
盛岡一とは言いません。 あっさりと納得できる「あつやきたまご」を焼き続けたいと思います。
添加物いっぱいの濃い味付けの加工食品に慣らされて, 体に良いものをおいしさで見分ける力がない。食糧自給率はわずか30%。
強大商社の言いなりのまま大量生産に都合がよい単一品種,遺伝子操作食材を素直に消費するニッポン人。 食料を武器に何を押しつけられようが,打つ手は無いお人好し状態。
生きる基本,文化の土台である「食」をこんなに崩してなぜ平気?
なぜ誰も変だと思わないのか? 危険なものばかり食べる国。
魚柄仁之介氏
先日,アフリカ,セネガルという国に海外青年協力隊で活動し戻ってきた方から話しを聞く機会を得ました。 市民の主食は「あわ」。 貧しい家では,食事が1日1回のみということもめずらしくないという。 そういう国もあるのです。「人の痛みに鈍い」という感覚。 今の「あたりまえ」が,そうさせるのでしょうか。
米が足りなくなった年,タイ国から緊急輸入し「まずい,食えない」 と我々が言っていた頃,タイ米は高騰し,それまで輸入していた他の国々が, とても高くて買えなくなり,末端の人々は飢えに到った事実を, 我々はほとんど知りません。
毎日食べられることのありがたさ。 その食べられる状態を支えている数多くの無名の人たち。 それは,世界の人たちを意味します。改めて「感謝」しなければなりません。 キリスト教では,食べる前に感謝と祈りを時間があります。 我々には食べることへの奢りと傲慢さがあるような気がしますがいかがでしょう。
そう言う意味では,年に1度でも断食の日を実行したり, お粥とうめぼしだけで過ごす日を決めてみることも行き過ぎとは言えないと思っています。
「粗料理作」という言葉があります。 安い食材を,時間と技術を使っておいしいものを作りあげるという意味ですが, すし屋には「あつやきたまご」を作るという仕事があります。 作り方は簡単なようで,これも奥が深いものの一つです。
まず素材,佐藤,ダシとの兼ね合い,卵の黄身の色ぐあい, 焼きあげるタイミングなど,やってもやってもむずかしいなぁと思わせられる仕事のひとつです。
今はこれも市販の甘ったるいものが,多く出回っているようです。
毎日自分で「あつやきたまご」を焼いている人が,盛岡に何人くらいいるのかと,ふと考えることがあります。
盛岡一とは言いません。 あっさりと納得できる「あつやきたまご」を焼き続けたいと思います。
2006年06月21日
飲食店のあるべき姿…
飲食店のあるべき姿…
生というものも死とうものも,ともに無常であって, 頼みにならないことは明白だ。 氷と水を見るがよい。何を生といい,何を死というのか。 水は寒気に感じて氷となり,氷は暖気に感じて水となる。 水か氷か氷か水か生か死か死か生か。何を生といい何を死というのか。 諸行無常であることがわかる。
惜しい,欲しい,憎い,かわいい,どれもみな迷いだ。 諸行無常と悟れば世界全体は空となっても,恨むも,ねたむも, 憎むも怒るも,ばかばかしくなるものだ。
この日本の社会が全員,公務員では,この国は成り立たなくなります。 しかし,この国の全員が百姓,漁師の場合,少なくとも死ぬ人は,減るでしょう。
食べるものを手に入れることが,あたりまえでなかった時代は, ほんの昔まで,何百年も続いていました。 現在の我々は,どこかの国の飢えの上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。 めぐまれた自然のめぐみが土台となっての今の日本です。 ある飲食店の商品が,時間が過ぎたというだけで, 捨てられることが「あたりまえ」ということで片付けられているこが, いつまで続くのでしょうか。
「暴風で倒れた松は,虫食いの穴に雨露がしみこんで, すでに倒れそうになっていた松である。 台風で破れた垣根も,朽ち縄が腐って倒れようとしていた垣根である。 風は松を倒そうとして,ことさら吹くわけでもなく, 垣根をこわそうとして当別に吹くのでもないから, 風がなくても倒れるはずであるものが,風があって倒れたり, 破れたりしたものだ。世界のことばはみなそうだ。人の家の滅びるのもみな同じだ。
金持ちの害は,ぜいたくであり,貧乏の害は,なまけぐせである」
あり余る食べ物を,自由に選んで食べれる国は,そう多くありません。 幸い今はそうですが,いつか抜かなければならないが, 今すぐには治さない虫歯を持っている人に似ています。 悪くなる可能性があるものは,いずれ悪くなります。
ささやかな努力でしょうが,あるべき飲食店の姿になっていくよう提案し, 自分もお客様にも,最大公約数,納得してもらえる店舗を考えてゆきたいと思います。
生というものも死とうものも,ともに無常であって, 頼みにならないことは明白だ。 氷と水を見るがよい。何を生といい,何を死というのか。 水は寒気に感じて氷となり,氷は暖気に感じて水となる。 水か氷か氷か水か生か死か死か生か。何を生といい何を死というのか。 諸行無常であることがわかる。
惜しい,欲しい,憎い,かわいい,どれもみな迷いだ。 諸行無常と悟れば世界全体は空となっても,恨むも,ねたむも, 憎むも怒るも,ばかばかしくなるものだ。
二宮金次郎のことば
この日本の社会が全員,公務員では,この国は成り立たなくなります。 しかし,この国の全員が百姓,漁師の場合,少なくとも死ぬ人は,減るでしょう。
食べるものを手に入れることが,あたりまえでなかった時代は, ほんの昔まで,何百年も続いていました。 現在の我々は,どこかの国の飢えの上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。 めぐまれた自然のめぐみが土台となっての今の日本です。 ある飲食店の商品が,時間が過ぎたというだけで, 捨てられることが「あたりまえ」ということで片付けられているこが, いつまで続くのでしょうか。
「暴風で倒れた松は,虫食いの穴に雨露がしみこんで, すでに倒れそうになっていた松である。 台風で破れた垣根も,朽ち縄が腐って倒れようとしていた垣根である。 風は松を倒そうとして,ことさら吹くわけでもなく, 垣根をこわそうとして当別に吹くのでもないから, 風がなくても倒れるはずであるものが,風があって倒れたり, 破れたりしたものだ。世界のことばはみなそうだ。人の家の滅びるのもみな同じだ。
金持ちの害は,ぜいたくであり,貧乏の害は,なまけぐせである」
二宮金次郎のことば
あり余る食べ物を,自由に選んで食べれる国は,そう多くありません。 幸い今はそうですが,いつか抜かなければならないが, 今すぐには治さない虫歯を持っている人に似ています。 悪くなる可能性があるものは,いずれ悪くなります。
ささやかな努力でしょうが,あるべき飲食店の姿になっていくよう提案し, 自分もお客様にも,最大公約数,納得してもらえる店舗を考えてゆきたいと思います。
2006年06月20日
魚屋が数を減らして…
魚屋が数を減らしてしまったてめに,鮮度の良いものが手に入らなくなり,
デパートやスーパーでしか魚が買えなくなった都市生活者が,
毎日の料理を魚で組み立てようとすると,
大変な苦労を味わいます。
鮮度の良いものを捜して帰っただけで,
料理に向けるエネルギーをほとんど使い果たしてしまっているというのが現実です。
しかし,100のエネルギーをほど使い果たしてしまった人が台所に立てるでしょうか? それは考えただけで実に苦しい現実です。魚料理が家庭から姿を消して行くのは当然でしょう。
その苦しい現実の中で,家族と自分自身のために台所に立っている人を, 私は心から尊敬します。
私は,ある器具が姿を消すことに, 日本人が食事を改善するほとんど唯一の手だてを失う事件に思えたけれども, マスコミでは事件とは見なさなかった。 大都会から魚屋が消えていっても, わが国のマスコミでは事件にならかったのだから当然かも知れない。
食卓をにぎわしているほとんどの食材が,外国からの輸入に依っている今日の日本は, 数十年前から自給自足率の低さへの警告をよそに依然低いままです。
時代の変化とともに,昔は見向きもされなかった食材に光が当たっていたり, 見直されたりしてきていますが, 命あふれる食材が中心の食事になっていないように思えます。
しかし,私の住む岩手県は,南部小麦,大豆そば,山菜きのこ,卵,三陸の魚介類, 他にたくさんの食材が身近にあり,必要であれば, 新鮮で力を持った食材を安く簡単に手に入れることができる条件にあります。
これは,なんでもないことのようで,実は,なかなか無い条件です。
三陸海岸の時期おりおりの魚,近所の露地物野菜,毎日作られる豆腐, 納豆,地元の米を利用したお酒など,家族経営の小規模な店があることのおかげで, そこに暮らす人達の栄養状態が非常に良くなることが,証明されています。
広域流通によらない力を持った食品≠手に入れることが出来るからです。
安い,便利に流れる世の中は,変わることはないでしょう。 その為に,支払われる我々の代償は,どれくらいになるのかを誰も計算できません。 答えは,出ないままかもしれませんが,私個人は,いくら宇宙時代に入っても, 春には,カツオ,秋にはサンマを酒菜に,一杯やりたいのですが・・・。
しかし,100のエネルギーをほど使い果たしてしまった人が台所に立てるでしょうか? それは考えただけで実に苦しい現実です。魚料理が家庭から姿を消して行くのは当然でしょう。
その苦しい現実の中で,家族と自分自身のために台所に立っている人を, 私は心から尊敬します。
私は,ある器具が姿を消すことに, 日本人が食事を改善するほとんど唯一の手だてを失う事件に思えたけれども, マスコミでは事件とは見なさなかった。 大都会から魚屋が消えていっても, わが国のマスコミでは事件にならかったのだから当然かも知れない。
丸元淑生氏「家庭の魚料理」より抜粋
食卓をにぎわしているほとんどの食材が,外国からの輸入に依っている今日の日本は, 数十年前から自給自足率の低さへの警告をよそに依然低いままです。
時代の変化とともに,昔は見向きもされなかった食材に光が当たっていたり, 見直されたりしてきていますが, 命あふれる食材が中心の食事になっていないように思えます。
しかし,私の住む岩手県は,南部小麦,大豆そば,山菜きのこ,卵,三陸の魚介類, 他にたくさんの食材が身近にあり,必要であれば, 新鮮で力を持った食材を安く簡単に手に入れることができる条件にあります。
これは,なんでもないことのようで,実は,なかなか無い条件です。
三陸海岸の時期おりおりの魚,近所の露地物野菜,毎日作られる豆腐, 納豆,地元の米を利用したお酒など,家族経営の小規模な店があることのおかげで, そこに暮らす人達の栄養状態が非常に良くなることが,証明されています。
広域流通によらない力を持った食品≠手に入れることが出来るからです。
安い,便利に流れる世の中は,変わることはないでしょう。 その為に,支払われる我々の代償は,どれくらいになるのかを誰も計算できません。 答えは,出ないままかもしれませんが,私個人は,いくら宇宙時代に入っても, 春には,カツオ,秋にはサンマを酒菜に,一杯やりたいのですが・・・。
2006年06月17日
レストラン
レストラン
人々の生活を向上させる,との名目で破壊し尽くされる森。 無言の叫びをあげながら倒される木々。「平和のために敵を倒す」。 澄み切った目でそう言った若者の肩には銃が。
放射能に汚染された家では, 食事代にも事欠く家族が硬くなったパンと具の入っていないスープで, ささやかな団らんの時を過ごす。
人類の暴走は,いつから始まったのだろうか?
「世紀末地球オデッセイ」
「いただきます」と言う言葉は, 「あなたの命をいただきます」という意味なのですが, 残念ながら,私は小学校で,こういうことを教えられた記憶がありません。 にがてな算数や他のテストの点数で, コース設定される日本のひずみのひとつかもしれません。
植えた種から芽の出る感動を「あたりまえ」で片付けることのこわさを, ちょっと考えても良いような気がします。
「レストラン」は,ラテン語の「レスタウラーレ」が語源で, 「人間性回復」という意味が含まれていますが,人は飲み食べ語らい, 明日への活力を得ます。 人と人が共に語らいあう食事がいかに大切かとうことでしょう。
日本ほど,あらゆる魚をじょうずに食べ尽くす民族はいないそうで, 用途にあわせた包丁の種類は飛び抜けていると聞きます。
しかし,「魚をおろせる」人の数は減り続けているのが実状で, いわしすら,さんますら, いかすらおろせる人は少ないのです。 テレビで,若い娘さんが日常食べている物を作ってみてと言われると, とんでもないことになるのが,あたりまえの時代になってしましました。
私は,少数派の技術職に「すし」や他の料理を作る人をしたくないと思っています。
ひとりでも多くの方に,「食べること」への興味を持っていただければ, 「すし」を通して, 体も心も満たされるような「ありかた」を学んでいければと考えています。
あわ,ひえ,きび,最近ではアマランサスなど見直されている食材もあります。 これらは,10kgで1万円〜3万円位の高価なものです。 お米の値段と比べてみてください。 高級米が,おいしいすしの基本とされていますが, 本当は,玄米のほうが理にかなっているのです。 今のところ無理ですが,白米に固執しない未来のすしは, どういうものになっているんだろう?
私の頭の中で,夢のひとつですが。
人々の生活を向上させる,との名目で破壊し尽くされる森。 無言の叫びをあげながら倒される木々。「平和のために敵を倒す」。 澄み切った目でそう言った若者の肩には銃が。
放射能に汚染された家では, 食事代にも事欠く家族が硬くなったパンと具の入っていないスープで, ささやかな団らんの時を過ごす。
人類の暴走は,いつから始まったのだろうか?
桃 井 和 馬 氏
「いただきます」と言う言葉は, 「あなたの命をいただきます」という意味なのですが, 残念ながら,私は小学校で,こういうことを教えられた記憶がありません。 にがてな算数や他のテストの点数で, コース設定される日本のひずみのひとつかもしれません。
植えた種から芽の出る感動を「あたりまえ」で片付けることのこわさを, ちょっと考えても良いような気がします。
「レストラン」は,ラテン語の「レスタウラーレ」が語源で, 「人間性回復」という意味が含まれていますが,人は飲み食べ語らい, 明日への活力を得ます。 人と人が共に語らいあう食事がいかに大切かとうことでしょう。
日本ほど,あらゆる魚をじょうずに食べ尽くす民族はいないそうで, 用途にあわせた包丁の種類は飛び抜けていると聞きます。
しかし,「魚をおろせる」人の数は減り続けているのが実状で, いわしすら,さんますら, いかすらおろせる人は少ないのです。 テレビで,若い娘さんが日常食べている物を作ってみてと言われると, とんでもないことになるのが,あたりまえの時代になってしましました。
私は,少数派の技術職に「すし」や他の料理を作る人をしたくないと思っています。
ひとりでも多くの方に,「食べること」への興味を持っていただければ, 「すし」を通して, 体も心も満たされるような「ありかた」を学んでいければと考えています。
あわ,ひえ,きび,最近ではアマランサスなど見直されている食材もあります。 これらは,10kgで1万円〜3万円位の高価なものです。 お米の値段と比べてみてください。 高級米が,おいしいすしの基本とされていますが, 本当は,玄米のほうが理にかなっているのです。 今のところ無理ですが,白米に固執しない未来のすしは, どういうものになっているんだろう?
私の頭の中で,夢のひとつですが。
執筆:新寿司店主 新里 秀明 (^^)・・・次号に続く

